法事② 50年後のめでたき葬儀


母の弟の叔父を、尊敬している。

この叔父と血縁があったことを誇りに思う、と感じる人である。素朴な彼は、どこにでもいるような中年の男性と言っていいだろうか。穏やかな物言いの、決して奢らず控えめで、けれど賢く機知に富む、優しい人。


叔父は兵庫県姫路市の浄土真宗の寺の子どもとして生まれた。不幸なことに、小学校3年生、9歳の時に母親と父親をそれぞれ病気で亡くした。自身の母を肝硬変で、その僅か半年後に、今度は父親を胃がんで。彼の姉である私の母は当時19歳で、9歳のまだ幼い彼と、姉の運命が、その年から劇的に変わってしまった。

飢える心配はなかったにせよ、彼ら自身の住居だった寺に、自身の叔父夫妻とその子どもたちが移り住むようになり、彼らの「家」は、その空気が、佇まいが、色が、大きく変わったという。母は私が成人するまで、あまりその話をしなかった。



先に亡くなった自身の妻、敏枝の葬儀を住職として執り行う照一、私の祖父。この半年後に彼自身も亡くなる運命、頬骨もくっきりと痩せこけた姿で葬儀を執り行う。小学校3年生の叔父は、急死した彼の母の写真を両手に抱え父の後を歩く。



今回、姫路で私の父と祖母の3回忌を行うに合わせて、翌日にこの母の両親の50回忌も執り行うことになった。親族が6名集った。



50回忌の法要、現住職のあげるお経は素晴らしかった。



法要の後、会食の場で集まった親類に向かって、今回の喪主であった叔父が、ぼろぼろと涙をこぼしながらこのようなことを言った。


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自分は小学校3年生の時に両親を失ったが、両親の葬儀で泣いた覚えがない。

今日の50回忌の法要が始まり、お経が流れ出した途端、そこで涙が流れてきた。やっと泣いた。


自分の両親は二人とも齢45で逝った、その年齢で子ども2人を残し旅立たなければならなかった親の無念さを思う。

今、自分自身が3人の息子を持ち、内2人が去年結婚したが、そうした父親に自分がなったからこそその重みを知る。

自分の親たちは、一体どれほどの思いで逝ったのだろうかと。


自分は不甲斐ない親であるが、

親は、生きているだけでいい、

親は、生きているだけでいいと、思う。


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溢れる涙を隠そうともせず、ありのままの心を親族の前で話す叔父の姿を見つめながら、こちらも涙がこぼれる。


全く、叔父の言う通りなのだろうと思う。

叔父の言の葉を心の中で辿る。


何もしなくても。何もできなくても。不甲斐なくても。


親は、生きているだけで、いい。


 ・・・そして、もっと言えば、親は、死んでも、いいのだろう。


 大丈夫なのだろう。


 それは、今目の前のあなたや、私の母が、50年かけて、その存在で証明している… 

と、こころの中で思う。


そこに到達するのに、50年の月日がかかった。

長い長い半世紀。けれど、死者の目から見ると、時間は一瞬にして超えるものなのだろうか。



法要を行ってくれた現住職は、母と叔父の従兄弟にあたる。彼が法事の後でこんな話を教えてくれた。


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浄土真宗の歴史を紐解くと、過去には法事の際、その装飾品に「紅白」の色を使っていた時期がある。

ロウソクも花も、仏様にお供えするに当たり最善のものを使用した。

亡くなり成仏するということは、この上ないめでたきこと。

そして残された人間もその事象を通じて阿弥陀如来に出会える、これもまためでたきこと。

だから、法事とはお祝い事であった。

その考え方と風習は世に浸透することがなく、消え行ったらしいが。

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なんと、めでたきことだったか。

50年ぶりの死の記念日。

50年を経て、小学3年生の子どもが涙を流せた、両親の死の記念日。

50年後にやっと執り行われた、本当の葬儀。


蒼く抜ける暖かな陽射しの2月のある日、残った一族で一期一会集い、

食事を共にしながら、50年前、70年前の思い出に花咲く。

なんと、めでたき記念日だったか。

子どもは、突然の両親の死に、悲しみを素直に表現すること、涙を流すことすらできなかったのかもしれない。

人生の限りないあらゆる場面、一瞬一瞬 子どもたちが「生きる」中

目に見えない、死者達の眼差しが、そこに在る。50年間、死者たちが絶え間なくその様子を見守っている。


そして、50年後に、包まれていた謎が一気に解けるように、

今生きる人々と死者が共に集い歓びに開かれる。



景色は、現在、50年前、70年前が重なる。



故人の私の祖母、敏枝さんと、義理の妹、敏子姉さんは大の仲良しだった。

私の母とその敏子姉さんとは、姪と叔母の関係でありながら年は12歳しか離れていない。

そうした訳で、私の母は、敏子姉さんを「姉ちゃん姉ちゃん」と呼んで慕っていた。

この法事で、数年来ぶりに再会したこの2人は、まるで女子中学生のように楽しげに会話弾ませ、揃って母の両親の墓へ参る。

敏子姉さん、現81歳。母69歳。

この写真の二人の後ろ姿の向こう、母の両親が共にいる。

景色は何重にも重なる。この御山廟所に。

何十年、何百年と続いてきたこの寺と訪れた人々の営みに。

ここでどれだけの人が生き、どれだけの人生の変遷が、どれだけの喜怒哀楽が、自然の移り変わりが、あったか。



失うものなど何一つあるだろうか。

全てこの一瞬、現在に存する。

「本質とは、真実の念である」 その言葉を、直前にいたタイとバリで学んでいた。


一念三千。

一瞬の念の中に、今ここ、過去、未来、すべて存する。


この世界の摩訶不思議さにただ驚く。

今生きている人たちが行く、逝く、道のり。

生者も死者も共に行く、逝く、道のり。

道中、時折こうして法事を通し生者も死者も邂逅する喜び。

そしてまた道を始められる、喜び。



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わたしのこころが見る景色、

年々、瞬間のレイヤーの重なりが増える。

瞬間のプロセスをより深く体験している。

重なりを。エネルギーを。

人の、景色の、歴史の、微細な粒子、色彩、薫り、感情の粒、記憶…

瞬時に見え透けることの多さ。

わたしの認識は、わたしの認識以上にそのレイヤーが複雑で色とりどり重なっていることを物語る。その事実にもくらくらと少しめまいがする。


絶大なエネルギーの渦中。

これが、空性と縁起の秘密の花弁が一枚あらたに開くことかと…


花弁は開き続ける。無限に。なんと、豊かなことか。身体が絶疲労するも当然のことで、二日間の法事が終わり京都へ向かう電車の中、軽く眩暈と疲労で吐き気を感じながら目を瞑った。

man maru

こころ、無意識、アジア、旅の記録。

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