バリ① Eat, Pray.. 食べること、祈ること、こころのままに生きること


バリに訪れてはならないと、思っていたようだ。

いつかは来る場所、と思いつつ、今ではない今ではないと、長い間気づかないふりをしていた。

なぜなら、一度訪れたら好きになる事が分かっていた…  恋することを知っていたからだ。







空港に降り立って24時間以内に色んなことが起こり、それを実感することになる。


私をバリへ導いてくれたのは、エリザベス・ギルバートというアメリカ人女性作家が書いたエッセイ、"Eat, Pray, Love"(「食べて、祈って、恋をして」)。






辛い離婚後のこころの修復のために一年間の旅に出た彼女は、イタリア、インドに続いて最後の旅の場所としてバリを選んだ。

彼女のこの旅のエッセイは10年前に出版されて世界中で大ベストセラーになり、映画化もされ、この10年近くの間、ことあるごとに私を支えてくれた。 偶然にも、彼女が旅に出た34歳の年齢に、私もバリの地へ降り立つことになる。


彼女の Eat (食)体験は、イタリアで、 Pray(祈り)はインドで、 最後のLove (恋、愛)はバリでの話なのだが、 私にはこの3つが全てバリに滞在した最初の2週間で凝縮されて起こったように見える。


Eat…

バリの食事は素晴らしかった。

インドネシア料理のナシチャンプルと呼ばれる食事。

ご飯の周囲にいくつもの惣菜や鶏肉、魚などを自分で選んで乗せることができる。 地元の人が食べる小さな路上屋台で10円から食べられるナシチャンプルもあれば、 外国人旅行者向けの洒落た店では素材に気を使ったベジタリアン食にすることもでき、 毎日どの店でナシチャンプルを食べるか、目移りした。 インドネシア料理は大豆を発酵させたテンペや豆腐料理が多々あり、それもまた日本人の私に合う食事だった。

そしてこの島には、恐らく世界最先端のヘルシーフードを謳う店が集結し、ニューヨークでもかくあらんとばかり、 マクロビやグルテン・シュガーフリー、ローフード、オーガニック食を提供する洒落たレストランやカフェがそこら中に数多あった。

驚いた。バリの中腹部、ウブドと呼ばれる山合いの小さな町、ここはこの10年来、世界中からヨギーニたちが集結する、 ヨガの聖地だった。

ヨガだけでなく、バリには、各種ボディワーク、伝統的なバリ医療施術、瞑想の世界中のトップクラスの人々が集う。 場におけるスピリチュアリティの高さと、その磁力に導かれ世界中の人が集まる様子は北インドのダラムサラを思わせた。 あの小さな山間の町には亡命チベット政府があり、チベット仏教を守る僧侶たちと仏教を学ぶ欧米人が集っていた。


毎回の食事がとにかく楽しみだった。小麦粉、乳製品、砂糖が体質的に食べられない自分にも、レストランで食べられるものがいくらでもあった。 どの店の食事も芸術品、アートだった。ある日私はあるカフェで砂糖も乳製品も使っていないアイスクリームを発見した。

アイスクリームなんて口にするのは数年ぶりのこと。その後少し低血糖症状を感じたが、大したことはなかった。 欧米ではグルテンフリー、シュガーフリーはもう当然のごとく浸透しているようだが、日本では外でこんな食事をなかなか楽しめない。

バリにいる一か月ほどの間に、10年近く悩んでいた持病の低血糖症がいつの間にか落ち着いて、驚いた。長い間、血糖調節が大きく変動するために砂糖を使った甘いものが食べられなかったのだが、少しずつ甘いものが食べられるようになった。


バリに到着した翌日の昼の食事。

アーユルヴェーダを学んだバリ人シェフの健康食レストランで、 ナシチャンプルと、ホーリーバジルとジャスミンのハーブティーを注文する。

ナシチャンプルは、バナナの皮を三角錐の包にした赤米、かぼちゃとレンズ豆のカレー、テンペのサテ、野菜炒め、ココナッツフリッター。これで35,000ルピア(約300円)。






この洒落たカフェ、壁には、神秘的な曼陀羅デザインの絵が掛かっている。







隣のクッション席に座るオーストラリア人の男性から話しかけられる。

小さな町で、このウブドの磁力に惹かれてやってくる外国人ともあれば、 インスピレーションと心が通じ合い、気が合うかどうかが瞬時に分かることはことは明らか。

気づけば一時間話し込む。

バリに2年住んでいるという彼はアボリジニとの混血で、パーマカルチャーの先生をしており、過去に日本の武道を習っていた。 20代後半だったが、自然の中で自然と生きる暮らしを辿る心的・精神的な次元の高さは至極透明なものがあった。


バリという土地は、自分を試す場所だろう…と彼が言う。ここでは、美しいもののみならず、ネガティブなものも全て顕現する。 この土地では寺院という寺院の至るところに恐ろしい顔をした悪魔の石像が立つ。

この地に存在する悪魔たちを、人々は追いやるのではなく、むしろ彼らの像を作り、供物を捧げて彼らを宥める。 それが彼らがネガティブなもの、恐ろしいものとの関係性を作って生きる術なのだ。





日本の神道にも似ているね、と言われてなるほどと思う。

日本人も、怒れる自然(神)を崇め、畏れ、怒りを宥めるよう祈りを捧げてきた。地震津波、土砂災害、日本というごく小さな島国に起こる天変地異の出来事の数々、 そのような荒ぶる自然と死の危険が伴う土地で、古くから日本人は祈りのこころと共に生きてきた。


バリという島は面積が東京の2.5倍ほどしかなく、その中心にアグン山という標高3000mの活火山がある。 この小さな島に富士山級の山があるのだから、島の内地がいかに急勾配かご想像いただけるだろうか。

ウブドは中腹部に位置するが、ここでも十分に空も雲も近い。 そしてアグン山は、今も頻繁に噴煙している。 元気な活火山のふもとで暮らし、いつ何時何が起こってもおかしくない状況で、 人々が四六時中祈り続けるようになったのも当然のことのように思われる。 つい先日も、近くの島で大きな地震があり一つの村が土砂崩れで生き埋めになり、救助も行われずそのままになったそうだ。 実に悲劇。


地球上には、特別な「磁場」のある土地が存在する…  そしてその場には何か偉大な畏れを感じさせる、人為を超えた圧倒的な自然環境がある。

ヒンズー文化のこの島には至るところに寺院があり、 各々のホテルやゲストハウスにすら、敷地内に寺院が存在するのだった。 後から知ったが、バリ人の家にはすべての敷地内にその家庭の寺院があり、そこに住む家族は言わばその寺院に住む住職的な存在だという。

彼らは彼ら独自の暦に従い、朝目覚めてから夜眠るまで、日に何度も何度もその敷地内と入口にお供えをし、香を焚く。 祈ることが彼らの仕事だと言ってもいい。

その土地の自然環境と人の文化、信仰とは切っても切り離せないものがある。







2月の初旬、雨季のバリとはいえ日中の直射日光は強く、強烈な太陽のエネルギー、空のエネルギーを全身に感じる。 そして、スコールがやってきた後のジャングルの緑の濃さ、水滴の美しさ。 バリが、「神々の島」と云われる所以が分かる。


Pray(祈り)、この地に降り立つだけでそれは自然に起こる。感じる。





ある日、これからバリ島の近くの島へ移住し持続可能なコミュニティで共存生活をするという、 農業関係の団体のパーティーに誘われた。 そこで隣の席に座っていたアメリカ国籍の男性と話をした。

たわわに黒ひげを蓄え、落ち窪むような丸い大きな黒い目をした彼は、 少し話しかけがたいような、一種独特の雰囲気を醸し出していた。

彼はバリへやって来る前は、家族や友人たちから離れてたった一人、オレゴン州の森の中で暮らしていたことがあるらしい。 森の中で一人、キノコや木の実を取って暮らし、川で魚を釣り、小屋を建てて自力で暮らしていたという。


彼のそんな話を聞いて直後、彼は丸い目でじっと私を見て、「君はタイのチェンマイに…行ったことがある?」 と突然言う。言葉に詰まる。まだ私についてはほとんど彼に話していない。名前と国籍程度のものだ。だが実にほんの数週間前、バリに来る直前に私はタイのチェンマイに2週間滞在していた。

そのことを言うと、「チェンマイに、誰か大事な人はいなかった?恋人か…」 と言う。 こちらはさらに閉口する。そう、もう7年も前のこと、私はチェンマイに好きな人がいた。 

なぜ分かったのか?と尋ねると、彼は不可思議な笑みをたたえて首を少し傾ける。 言葉で聞かなくても、「わかる」、らしい。 サイキックな能力の一種か。初対面の相手、見ず知らずの相手と対面するだけで、その人間のこころに刻印づけられた何かの記憶を、 読み取れるらしい。


こんな状態では、こころに何も隠し事なんてできない。こころが丸裸のまま人とやり取りをしているようなもの。 いや、こころでコミュニケートする彼らの在り方こそ、人間が元来持っていた力のありようなのかもしれない。

恐らく、自然の中で植物と、空と、水と対話し、彼らはその中で彼らの必要なものを得て生きてきた。 一般の文明社会から離れ、野生的、原始的、動物的な感覚を研ぎ澄ませて生きる。 ネイティブアメリカンしかり、アボリジニしかり、古代の日本人もそうだっただろうか。

大地震が来る時、動物たちはその予兆を読み取る。地球の磁場の変化、大気の状態、海底プレートの圧が高まり弾ける爆発的なエネルギーを、 動物たちは感知する。

人間も動物なのだから、そうした大変動を感知する力がそもそもそなわっていたと考えてもおかしくない。

私たちは、自然から離れ、コンクリートジャングルを作り、人間社会を形成し、その暮らしで何を失ったか。 言葉がなければコミュニケーションが取れないなんて、実は不便なことではないか。言葉ではいくらでも嘘まやかしを言える、作れる。

こころで皆が会話することができるなら、誰ももう嘘も偽りも言えるはずがなく、正直に生きるしかない。 こころで念ずること、思うこと、それがすなわち他者にも伝わり、相互にやり取りをすることになるのだから。そんな文明の方がよほど高度なのではないか、そして平和な世の中になるのではないか、そんな気にもなる。


私にはサイキックな能力はないが、磁力の強いバリに集まる移住者たちが自然と共に生き、自然と自分の声に従って生きているのをみると、 地球上の生命として生きる可能性は無限大だなと思わせられる。


Love...面白いくらいに、エリザベス・ギルバートの旅を、このバリの滞在中に私も追いかけることになった。そしてそこを超えたときに、オリジナルの自分の人生がまた新たに始まった。細かく起こったことを書こうとするともっと文章がかさむが、あまりにプライベートで、エリザベスのように包み隠さず顕わにするのは抵抗があるので、ここではこの辺りにしておく。

最初の2週間はエリザベスが実際に関わった人を探し、訪れ、彼女の軌跡を辿っていく、わくわくする楽しい旅だった。その2週間だけでも、本が書けそうな勢いの日々で、くらくらとした。


食べること、祈ること、愛すること・・・ 生きるのに大切なエッセンスは、この3つかもしれない。この3つがすべてなのかもしれない。



man maru

こころ、無意識、アジア、旅の記録。

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