色について
今夏がいつもの夏とは異質に感じたのは、色彩がみえなかったからかと、ふと。
連日36~37度、たまに39度。そして湿気。
しばらく日差しが強すぎて、日光の白さはこれ以上にない白さ、
目を開けられず、目まいがした。
太陽光の強さで、自然界もいつもの夏の色味が失われた気がする。
そんなことを思ったのは、8月に入ったころか、暑さが少し和らいで久しぶりに、
外出ができ、歩いて20分の公園へ行けた日のこと。
空が青く抜ける。ミニひまわりの黄色が鮮やか。
この色彩の濃さ、鮮やかさが、通常の「夏」だった、と思った。
私たちが、子どものころから知っていた…
夏休みの、夏の色だったのではと。
色が生命力だとすれば、
夏は生命が最も濃く内側に潜んでいたその命の力がそのまま「色」として外側に表れる。
この夏の暑さは、その命の色も微かに灰白くさせるほど、火の力が強かったのではないか。
生命を脅かす暑さだった。
人間も(私も)、あまり自然界の色を見つめられなかった。
それはまるで盲になったような。
シュタイナーをしばらく読んでいた。
「白黒の線描画が頭に関わるのに対して、彩色画は心を開き、潤わせます(朔望は生命を強め、音楽は魂に触れます。)自然界に現れているさまざまな色の源を、シュタイナーは心の世界(輝く色彩の海)に探求し、魂の世界を音楽の源泉と見ました。
自然界の生命、色とりどりに輝く雲海のような心の世界、天空の音の響く魂の世界が、彼の研究テーマでした。」
―色彩の本質 色彩の秘密ー(訳者緒言より)
「先ずはじめに、われわれを取り巻く世界の中の特定の自称に注意力を集中させることが必要である。特定の事象とは、生命の発生、生長、繁栄する相であり、衰微、凋落、死滅する相である。」
「生じた感情と思考から、見霊器官が形成されてくる――ちょうど自然力を通して有機的素材から眼や耳という感覚器官が形成されるように。」
―いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか― ルドルフ・シュタイナー
目に見える青葉の緑のうちに、過去未来、冬の、春の、その木の景色。
その木に存する時間軸の変容性を観るだけでなく、
その葉の周辺に揺らめく、焔を観るようになるには?
それは氣の世界と等しい。
「色が視える」特定の機能を持つ感覚器官は、微細な有機体が集まり、形成されていくものらしい。その色を、こころの目で 見えるようになれれば…
色を失ったことから、色についてつらつらと思う夏だった。
(というか、予想外に体力的に動けない夏になったので、意識朦朧としながら、家にこもって本を読むしかなかった。(笑) 冬か。)
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