タイ③ 生まれたままの私に出逢う旅


毎日、不思議なことが起こった。10日間の旅。  

成田に着き離陸前の飛行機を横目に見ながら搭乗ゲートまで歩く道のりで、 

その予感はもう始まっている…

自身のこころの純度がどんどん高まり、

自身の身体から衣服を脱ぎ棄てていくように、身軽になり、

たましいの姿に近くなる自分を感じながら。 


なぜ、私はまた一人になるのか。  

大好きな家族や心を通わせられる友人、大切な人達の中の居心地の良さを捨てて、 

なぜまた一人になるのか。 

人一倍寂しがりやで、一人ぼっちの夕食は嫌だと思う自分が。   


常に革命し続けたい。

全て変化し続ける。

愛しいと思うものも、次の瞬間にはすぐに消える。

一瞬の寂しさを感じながら、次の変化の波を受け入れ、その世界にダイブする。

その体感がきっと私は一等好きだ。その体験を何度も何度も繰り返し体感したいのだ。

握りしめたものを、手放す。そしてまた新たなものを握りしめていく…。

それが生きて、(死んで、)いくということ、そのものだ…。



搭乗待ちのゲートは、今ある世界を捨てる最後の葬儀場のようなものか…

離陸は死。

飛行機が空の上を飛んでいる間は、前の体を捨てて次の生へ生まれ変わる、

輪廻の途中のようなものか。


空を飛びながら戯れにそんなことを思う。

きっと死んで今の身体を失ったら、こんな風に雲の上を浮遊しているのかもしれない。



飛行機での移動中は、他の生へ変わる転生前の状態に似ている。

だって他の国では、それまでと全く違った人生が

(季節が、風土が、歴史が、時代が、人が、言語が、自然が、空気が)ある。 

そこで自分は生きていくのだから。

そこで以前の人生を忘れた、新しい自分が外から刺激を受け、内部から生命力がスパークし、

その土地で、サバイバルする人生のひと時を過ごすのだから。


バンコクへ着いた翌日

導かれて、タイの中のチベットに出会う。

私が10年前に訪れた場所。

初めてタイを訪れた際に、連れてきてもらった場所。

そこで、愕然とする‥‥ 

私、その場所に来たことが2年前にもあったじゃないか、と。

その時は「この場所だ」と気づかずに、門の前まで来てただ通り過ぎていた。

なんと、愚かな2年前の自分。

布石は置かれている。

そして、今 時が満ちて、気づく時になったということ…





自らが求めるものが姿を顕しはじめると、たちまち見えてくる。

取り巻くものが顕わになって予想もつかなかった出会いと情報に囲まれて、

一人静かに興奮する。

どうやら私は、10年かけて、一回りしてきたらしい…






結局、気づいたのだ。

自分がやりたかったのは、Engaged Buddhismだったのだと…

社会参画仏教だったと。

この10日間の中で、一日ごとに自分のその望みが顕わになる。

そしてその望みが明確になるごとに、毎日不思議な出会いと事象が

目の前に現れる。




海に行きたいと考えていたが、バンコクに着いてもまだどの海に行くか決めあぐねていた。

結局、悩んだ末に「最後の秘境」と呼ばれるリペ島へのチケットを取るつもりで

Air Asiaのサイトを開く、

その瞬間目にしたのが「クラビ片道500THB(約1500円)」のプロモーション。

今回はクラビに行くことにした。


導かれるようだった。

ほとんど誰もいないアオナンのビーチ。






ただ空と、海だけがある。

私の心身のリズムが、自然のリズムと一致する。

私たちは振動する粒子…



この旅の中で、新しいことにもたくさん出逢うことになったけれど

結局一番の大きな出逢いは、

【昔自分が既に出逢っていて、自分の内側にあったものに出逢いなおした】 

ことだったのかもしれない…

この7年間、自分が封じ込め、その縁によって出逢った人たちとの関係も切り捨ててきた。

でも、本当の自分の純粋な望みは、掘り起こされて、もう一度私に出逢ってくれた。

私の前に現れてくれた。


出逢いたかったものは、既に私の中にあった…



クラビ最後の日の夕暮れ、空の中、海の中で、

半分夢の中にいるように波に揺られ波となり、自由に浮遊しながら

10年前に愛していた人のことを思った。

ありがとう。愛しています。

その場に至るまでの間に、数日間で何度も事象としてサインが現れていた。

彼のサインが。

彼を愛していたのは

「私のたましいがやりたかったこと」を

体現していたからだ…

私は彼を通して

自分のたましいの役割を知った。

この世に産まれてきて、

「わたし」に出逢った。

「彼」とはすなわち「わたし」、

自分の大切な片鱗だった。




いつも、感謝と愛でしかない、全てが。

これだけ広大な「気」の、愛の、いのちの中にあって、

私の体内の気も、愛も、いのちも、リズムを共にする。

世界とは、即ち、愛に他ならない。




夕暮れの前に、浜辺でダンスをするカップル。

近づいたり離れたり、その様が実に美しい。

生きているということ、生きるということ、

それはすなわち、世界とダンスすることなのかもしれない…

常に双方動きつつ、流動しつつ、

近づいたり離れたり、

いのちの赴くまま、予想のつかない曲線を描きながら

「過去未来永劫訪れない」

一瞬一瞬のみを、重ねゆく。

そして、ダンスの軌跡は消えていく… 美しいダンスを残そうとも、そのダンスは一回きり。

後には、そのカップルの残り香だけが風に舞う…



クラビの

空と海に、感謝している。

誰もいない、この空と海の中で

まるで私は、ひとつの生が始まる前の、宇宙の大きな羊水の中に安心して漂う、

赤子のようだった。

そこで、次に始まる生への夢を見ながら…


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